#2 音読が苦手だった私がたどり着いたこと

グレイテスト母さん、企画・構成・脚本の岡本安代です。

制作日誌#2

グレイテスト母さんに興味を持って下さり、ありがとうございます。
制作日誌を書き進める前に、まずは私がこの舞台を企画した経緯をお伝えしたいと思います。


小学生の頃、誰もが行なったことがあるであろう国語の音読。

私は、この音読が大の苦手でした。

アナウンサーという仕事をしている私をご存知の方からすると、信じられない話かもしれません。

引っ込み思案だった私にとって、人前で声を出すことは、とてつもなくハードルの高いことでした。

国語の授業では、当たり前のように音読があって、当てられた順番に読み進めていきます。

「次、45ページから最後まで。」先生に当てられる度に、緊張で膝を震わせながら読んだ日々。

作品を味わうことより、読むというミッションをこなすだけの音読となっていることに

当時の私は気が付けませんでした。自分の番が終わったら、ホッとする、ただそれだけ。

いつしか、私は音読はおろか、本を読むという行為から距離を置くようになりました。

読書をすることはあっても、本を楽しむというステージまでだいぶ距離があったように思います。


あれから時が流れ、私は母となりました。

子ども5人を授かり、我が子に本を読む機会も増えました。

幼稚園では読み聞かせサークルに所属し、小学校では読み聞かせボランティアにも参加しました。

子どもたちは、目を輝かせながら、私の発する言葉を手繰り寄せ、物語の世界に没頭しました。

私が静かに語りかけると、子どもたちもそれに習うように静かになり、耳を澄ませました。

私が問いかけるように語ると、我先にと呼応するように、前のめりになりました。


いつしか私は、目の前の子どもたちに向けて、物語を話すようになりました。

この作品の面白さを一緒に味わいたいという思いで、語りかけるようになりました。


やがて、音読を好きになれなかった私に変化が訪れました。

聞き手の反応によって、話し手の読み方も変わってくることに気がつきました。

読み手の言葉と、聞き手の感情が交差することによって、その言葉はさらに躍動し、

作品がより生き生きと輝くことを知りました。


輝きを放った作品は、より旨味が増し、もはや虜になるほど互いの心に浸透するということを知りました。

読み手は同じでも、聞き手が変わると、同じ作品でも全く別の表情を見せるのだということも。


ただ声に出すのが音読というのに対し、伝えるために読むことが朗読と言われています。


私にとっての朗読は、提案であり、会話。


聞き手は静かに、手はお膝に置いて、お行儀よくして耳を傾け、

読み手はいつでもどんな時も安定した表現をする__

そのような朗読の世界ではなく、

私が目指すのは、読み手と聞き手が共に積み上げていくみんなで作る作品の世界観。

聞き手の受け止め方で読み手は臨機応変に表現を変えていく、

あなたも私も、どうなるか分からない、一緒に楽しむ朗読。


誰もが楽しめる、舞台でしか出来ない、生でなきゃ伝わらない、岡本安代でなきゃ作れない、

私たち親子でなきゃ作れない、そんな舞台を作っていきます。

やるからには、誰かの何かのきっかけになるような作品にしたいと思っています。

関係者の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。


グレイテスト母さん

母さんは、偉大だ。私の母さんも、あなたの母さんも。そう、グレイテスト母さん。苦しい時、救ってくれた母さんの言葉。どんな時も、母さんだけは僕を信じて待っててくれた。どんな高級料理よりも、母さんの作ったおにぎりが1番美味しい。母さんが笑顔で元気でいてくれたらそれでいい。やはり、母さんにはかなわない。そう気がついたのは大人になってからのことでした。